Sumika墨花

── Our Story ──

なぜ、想いを身につけるのか。

Sumika は、言えなかった想いを贈れる形にするために生まれました。書道を選んだ理由と、掛軸ではなく身につける形にした理由を、ここに記します。

言えないまま、何年も経つ。

想いは、言葉にしないと伝わりません。けれど、面と向かって言えることは、そう多くありません。

父に「ありがとう」と言えないまま、何年も経つ。長く支えてくれた上司への敬意を、退職の日の一言で済ませてしまう。伝えたい気持ちがないのではありません。伝える形がないだけでした。

想いが一つの形になった瞬間、それは贈れるものになります。口に出せなくても、手渡すことはできる。Sumika が解こうとしているのは、想いの「伝えにくさ」ではなく「贈りにくさ」です。

祖母は、書道家でした。

私が書道という道に出会ったのは、祖母が書道家だったからです。

静けさのなかで集中を研ぎ澄まし、一つの文字と向き合う。その凛とした背中を、子どもの頃から見ていました。文字に想いを込めて形にするという営みが、すぐ隣にありました。

この素晴らしさを、もっと多くの人に届けたい。Sumika の出発点はそこにあります。

数ある「道」のなかで、なぜ書なのか。

日本には武道、花道、茶道と、多くの「道」があります。そのなかで書道を選んだのには理由があります。

漢字は、字そのものが成り立ちから意味を持っています。一文字のなかに、由来があり、歴史があり、込められた願いがある。だからこそ、想いを一つの形に凝らせることにかけて、書はとりわけ長けています。

写真でも、彫刻でも、詩でもなく、書であること。それは表現の好みではなく、漢字という文字の性質から導かれた選択です。

掛軸ではなく、身につける形に。

書を贈るとなれば、掛軸や額装が自然な形です。しかしそこには、どうしても堅苦しさがついて回ります。飾る場所を選び、扱いに気を遣い、日常からは少し遠いところに置かれてしまう。

それでは、より多くの人に届きません。

普段身につけるものに書を載せる。そうすれば、作品は日常のなかに入ってきます。もらった人が、袖を通すたびにその想いに触れる。そして贈る側にとっても、ずっと渡しやすいものになります。

身につける形にしたのは、書を軽くするためではありません。想いを、贈りやすくするためです。

Sumika という名前。

墨花と書いて、すみか。

墨が紙の上で滲み、広がり、花のように開いていく。言葉にならなかった想いが、一つの書として形になる瞬間を、その名前に込めています。

あなたなら、誰に何を伝えますか。

伝えたい想いをお聞かせください。その想いから、一枚の作品をつくります。